公開授業報告

                     全国視覚障害教師の会 会員
                     天海法眼(てんかい ほうげん)

   はじめに

瀬戸内寂聴著「釈迦」(2002年11月発行)はブッダ、最後の言葉として、こう記している。
 「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」
 「この世は苦に満ちている」というブッダの基本的人生観・人間観とは相反するかに見える。
これはパラドックスと言うより、真実は両者・両側面を包み込んでいるということである。

授業実施日: 2002年10月22日
科目:     「現代社会」
対象生徒:  高校1年 男女40名

授業内容:              「ブッダの空(くう)とヘーゲルの理性」

   授業風景

 諸行無常について

天海:  ブッダ、つまりゴータマ・シッダルタは人生は苦に満ちている、と考えたんだ。みなさんは、苦しみはどこからくると思う?
里美:  胃からくる。
天海:  え〜、「い」から。
里美:  胃痛がひどいんです。
天海:  あなたは繊細な人なんですね。
里美:  そうなんです。
天海:  デリカシーのある人なんですね。
未華:  先生、ほめすぎです。
天海:  胃痛もまた、四苦八苦の一つです。
     四苦は生(しょう)・老・病・死からなっている。
     人間の苦は諸行無常の道理を理解しようとしないところから生まれる。
     ところで、諸行無常って、どこかでみたことないかなぁ。
里美:  平家物語! 
クラス: おー。
里美:  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。
天海:  さすがだ。それでは無常って、なに?常では・・・
海人:  ない。
天海:  そうです。
     無常というのは常ならず、つねではない、うつろいゆく、変化するということだ。
海人:  静止していない。
天海:  そうです。静止していない。動いている、動きつつある、ということなんだ。
未華:  それでどうなるんですか。
天海:  うつろいゆくこと、常ではないこと、つまり諸行無常の道理をつかむことが苦しみから解き放たれるために重要なんだ、と言っている。
里美  諸行無常の道理をゲットすると、なにかいいことありますか。
天海:  二つあると思います。
     一つは、天・宇宙・自然にしたがうことができるということです。
     つまり、宇宙や自然にさからうことがなくなる、ということです。
     これは自分の生き方がなくなるということではありません。
     もう一つは、執着しないことです。
     金の亡者になったり、地位や名誉にしがみついたり、欲に溺れたりしない、むさぼらないということができるということです。
     これは宇宙や自然をこわしたり、人の心を傷つけたりすることを少なくすることができると思います。
里美:  諸行無常の考えかたも、有意義なものですね。

                         (以上授業風景)

授業展開:

   ブッダの生い立ちから「悟り」まで

ゴータマ・シッダルタという名の由来、釈迦族の話、カースト制度という奴隷制度社会の話、クシャトリアの生活、現代にいきるカースト制度などを話す。
つづいてブッダの子どもの頃の話、結婚、出家、苦行、悟りの話。

   ブッダの思想・世界観

「人生は苦である」
四苦八苦の話。
生(しょう)・老・病・死、愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごうんじょうく)の話。

   苦はどこからくるのか

平家物語の諸行無常、煩悩、平安・寂静、ニルヴァーナ(涅槃)。
空とはなにか。あらゆる事物・現象は相依相関(そうえそうかん)のなかにあり、なに一つとして、それ自身だけで独立して存在し得るものはない。
万物一体、機法一体であり、うつろい、変化してやまないものである。
 生物のなかのヒトは、植物性タンパク質や動物性タンパク質を自然の中からいただいて生活し得る。
また、物質の震動と空気の存在なくして音の世界・音楽の世界はない。
無我とはなにか。永遠不滅の実態、すなわち我は認められない。 変化しないものはない、ということである。

   般若心経

般若とはなにか。高度な知恵、空を知る知恵が般若である。
276文字からなる般若心経。色即是空 空即是色の話。

   般若心経と「法の哲学 序文」

 ヘーゲルは著書「法の哲学 序文」で「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と述べている。
この理性とは、本質・本質的な存在である。
ヘーゲルのこの世界観は現実と本質・理性の一体性の表現と言えよう。
同時にそれは、連関と成熟・発展の弁証法哲学の帰結でもある。<

 一方、色即是空 空即是色における空とは法(ダルマ)・理法・理性・法則と言えよう。
したがって、ヘーゲルの理性・本質と般若心経の空における理法・本質という共通性で両者は一致しているのではないだろうか。

   空・無我と弁証法

 空と無我の世界観には、宇宙・自然と社会・私との密接な連関がベースにある。
それだけでなく、うつろい・変化・運動という、二つの大きな世界観がどっかりと座っている。
無我における変化・運動のとらえかたも、空と通じる。

 この空と無我の世界観は連関と運動・変化・成熟・発展の一般法則と重複するものがある。
原始仏教における空と無我においては、運動・発展の認識は色濃く浮かびあがっているとは言えない。しかし、極めて弁証法的である、と言えよう。

 ギリシャの哲人、アナクサゴラスの「ヌース」、ブッダの「空・無我」、ヘーゲル・エンゲルス・マルクスの「弁証法」には物質・万物自身の持つ内的目的性・本質・理性・ダルマ・法則が世界観の底流にある。

(授業終了)

* * * 以下配布プリント * * *

学習資料    ブッダの教え 〜空と無我〜

ゴータマ・シッダルタ ゴータマは「最良の牛」、シッダルタは「目的を達成した人」の意。

「人生は苦である」ーー
      生(しょう)・病・老・死=四苦
      愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)=(先の四苦と合わせて)八苦

 苦は、果たしてどこからくるのか ーー自然と社会における諸行無常の道理を体得していないため。

  諸行無常=すべてのものは、移りゆき、変化をやめない、留まることをしらないものである。

  煩悩(ぼんのう)
 人々は諸行無常の道理を認めようとしない。不変を願って、ものごとに執着する心(煩悩)を捨て切れないところから苦しみがくる。

  ニルヴァーナ(涅槃・ねはん)

 煩悩をすてさり、平安・寂静(じゃくじょう)を得た理想的な状態がニルヴァーナ(涅槃)とされる。

 空=世界のあらゆる存在や現象は、相依相関(そうえそうかん)のなかにあり、何ひとつとして、それ自身だけで独立し得る     存在はない。

 無我=永遠不滅の実態(我)は認められない。

 著書「法の哲学 序文」に見るヘーゲルの世界観=「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」

(「学習資料」終わり <本ホームページではテキスト形式の文字以外は表示できないため、資料中のイラストは省略しました。ーー編集者>

* * *

   私の授業を支えるもの

 私の毎日の授業を支えてくれるのは、同僚・生徒・ボランティア・図書館・家族である。
同僚は緊急な書類作成や困ったときなど、にわかにバック アップしてくれる。生徒たちは資料の印刷や配布、出席簿の記入などの手伝いをしてくれる。ボランティアの皆さんには毎朝一時間、授業の始まる前に書類や新聞、教材などを読んでいただいている。
三カ所の図書館では、急ぎの書籍朗読を依頼している。また、家族にはテスト採点や手紙、書籍などを読んでもらっている。
 百数十名のみなさんの支えから授業は産まれる。

* * *

編集者追記

 本会会員の中には自主的に後回授業を行なったり、授業を見せて欲しいという同僚、見学者、研究者などを快く、頻繁に受け入れている人が少なくありません。
このページの報告者天海法眼さんもそのひとりで、20年以上の教職頸肩で毎年そのような実践を繰り返し、 そのたびに意欲を高めてきたそうです。
しかし「最近、授業の公開を命令や半矯正で行なわせるようになってきたことには疑問を感じる」とも言われます。

* * *

教育実践の目次にもどる。

トップページにもどる。