視覚障害を持つ教師の校外活動への関わりについて

              栃木県宇都宮市立陽東中学校教諭 南沢 創

 視覚障害を持つ教師が、校外活動に関わることの意義は何でしょうか。また、その行事に対し、どんな関わりができ、どんな役割を担うことができるのでしょうか。  私の勤務する栃木県宇都宮市立陽東中学校第2学年では、今年度7月11日(金曜日)に「東京班別活動」という行事を企画、実施しました。その行事に私が実際どのように関わったか、行事全体はどんなものであったかをここにまとめます。

1 東京判別活動の企画。

 4月当初から、学年主任が東京班別学習の実施を提案、学年会議が何度も持たれ、計画の具体化が行われました。
 最初の案は、バスで子供達をディズニーランドへ連れていき、その中で班別活動をさせるというものでした。
しかし、ディズニーランドという限られたレジャー施設の中で班活動をしても、班ごとにただ遊び回って帰ってくるだけの行事になってしまう、もっと調べ学習、集団行動の大切さが学べる企画に出来ないだろうか、という意見が出て来ました。

 そして決まったのが、少人数のグループを作り、東京山手線沿線周辺で班別に活動するということでした。
 当日、子供達は上野駅の中央コンコースで班ごとにチェックを受け、それぞれ自分たちの決めた見学場所へと向かい、3時に同じところでまたチェックを受けることになりました。

2 この企画に対する私の取り組み

 準備段階で私が関わったこととしては、東京班別活動を安全に実施する方法を考えて提案すること、子供達の意欲を高めること、子供達の立てた計画に無理がないか検討することでした。

 会議を積み重ねる中で、子供達がゲームセンター等で遊んで終わぬよう、教師が提示するお勧めスポットの中から午前中1カ所、午後1カ所選んで必ず行かなければならないというルールを決めました。さらにそれらの場所に行ったことを記録に残すためにインスタントカメラを班ごとに持たせ、見学地を撮影してくることが決まりました。

 5月初旬、各クラスでは担任から子供達に東京班別活動の概要が少しずつ知らされはじめました。しかし、子供達は全く盛り上がりません。
 私はクラス担任をしていないのですが、あるクラスの担任がお休みしてそのクラスで東京班別活動の概要を説明する機会を得たのでした。しかしクラスの中はざわざわして落ち着きが全くありません。
 東京からさほど離れていない宇都宮の子供とはいうものの、東京にはどんな施設があるか、全く分からない子が多く、なかなか興味を示さないのです。挙げ句の果てに、
「先生、原宿の洋服のお店とか行っていいの?」 とか、
「都会のゲーセンに行けば面白いプリクラ撮れるよねぇ」 とか言い出して、そっちで盛り上がってしまう始末です。

「お前ら、東京へは洋服見に行くんじゃないぞ、ましてやプリクラ何て取りに行くんでもない、調べ活動と集団行動のお勉強に行くんだ、そこんとこ忘れないでほしい・・・。」  そう言うと、とたんに生徒達からのブーイングの嵐が巻き起こりました。
こりゃいかん、東京にどんな素敵な学習スポットがあるか、熱く語ってやらなければ、そう思って、東京について語ってはみたものの、誰1人私の説明を聞こうとする生徒はいません。

 東京の素敵な場所を子供達に伝えるためにいろんな人に東京の良さを教えてもらおう、そして自分でもその良さを体験しておこう、そう思いつつ、いろんなボランティアさん、友人知人関係に相談しました。

   5月24日、土曜日(私の日記から)

 今日は私、親友にお願いして東京の名所旧跡を案内してもらいました。子供達に東京の良さを伝えるためには話だけでなく視覚にも訴えなければ、その強い一心でその親友に無理を言ってデジカメも携行してもらいました。
 まず向かった先は新宿の都庁。ここで私は観光案内へ出かけ、山手線の大きな路線図はないか質問しました。係のお姉さんは無料で配布されている60センチ×80センチくらいの山手線の路線図と、それを5分割して名所旧跡を記してある地図を持ってきてくれました。もしかして、必死に頼み込めば生徒の人数分この地図をいただけるのではないか、そんな期待が私の脳裏を過ぎりました。
お土産売場で都庁関連の絵はがきをゲットして都庁を後にしました。

 続いて行った先は新宿御苑。これはとても素敵なデートスポットの穴場という感じでした。ちょうど第4土曜日とあって、明治時代に皇族が静養したという洋館に入ることが出来ました。
隣に温室と称する植物園がありました。学校の体育館ほどの大きな、そしてとても天井の高いガラス張りの温室がいくつかあって、部屋ごとに温度や湿度が全くちがいました。昆虫のにおいもしたので、きっとそうしたものも飼われているのかと思いました。
ここでも絵はがきをゲットしました。

 新宿御苑を出たところで香ばしいカレーのにおいに誘われて、東京リサーチを一時休戦、昼食を取りました。

 昼食後、我々が向かったのは国会議事堂。テロ警戒の影響で警備が超厳重でした。
そこで見学についての説明を受けてから、皇居桜田門外へ行きました。
ここもテロ警戒が厳重で・・・。桜田門へ近づこうとすると巡査に「ここから中は一般の方は入れませんので」と止められました。

 そこから私たちは池袋へ向かいました。しかしあまりの強行スケジュールに、一緒に行った友人はばててしまいました。
友人にはコーヒーショップでお休みいただきつつ、私は西武百貨店の中にあるリブロという本屋さんで特大の山手線沿線図を探すことを試みました。
店員のお姉さんに事情を話して相談に乗ってもらいました。国土地理院の2万5千分の1の地図を持ってきてもらって説明をしてもらいました。
お姉さん、私の手を持って山手線の線路を地図上に正確にたどってくれました。
これって正確な楕円とかじゃなくてかなりぐにゃぐにゃと曲がりながら一周しているんですね。はじめて知りました。

 この地図をそのまま学校のどこかに掲示しても子供達は興味を示さないだろうな、ある程度図式化して整理された分かりやすい地図を作ってその上にいろんな観光スポットの写真を貼り付けていったら子供達興味を持つのではないだろうか、そんなことを考えました。
     (5月24日の日記 後略)

 私は親しい友人、知人、ボランティアさん達に東京班別活動について説明し、自分で東京をリサーチした様子を報告しつつ情報提供を呼びかけました。そしていろいろな方々から見学候補地についての様々なアドバイスをいただきました。

 例えば、日本点字図書館の田中徹二先生からは、
「日点を生徒の見学先の一つにしたらどうですか?ときどき、地方からそうした生徒たちがやってきます。
水曜か金曜なら、一般の見学に乗せることもできます。 ほかの曜日なら、前もって日時を庶務に連絡してもらえば、対応するはずです。
 観光スポットだけを見学させなくてもいいのではと思います。」とのメールをいただきました。

"M.S."さんからは、「東京の観光スポットは沢山あるので、テーマを設けたら、いかがかしら。」というアドバイスと共に数多くのスポットについての情報をいただきました。

 それらに基づき、生徒に東京の素敵な一面を紹介することを続けました。

 その後、さらに2度ほど私はいろんな友人の手を借りて東京中のいろんな場所へ行き、 その場所の絵はがきとパンフレットをたくさん手に入れました。。

 上野公園の文化会館と美術館の間にある観光案内所の職員は、7月11日の東京中で行われているイベントをすべて調べ上げて関連資料を用意して説明してくださいました。

 学校内では、東京班別学習コーナーを学年室の前に作ってもらいました。
 生徒実行委員がとても大きな山手線1周の地図を作ってくれて、その地図上に絵はがきが貼られていきます。
 そしてその下には長机が置かれ、そこにいろんな見学スポットのパンフレットが置かれました。

 生徒のほとんどがこの東京班別活動の企画が出た時は乗り気でなかったのですが、次第次第に楽しみになって盛り上がっていきました。
しかし、盛り上がりすぎて、班で考える行動スケジュールはどこもハードすぎるものばかりです。
 私は学年の先生にすべての班のタイムスケジュールを読んでもらい、無理な計画を立てている生徒には計画の再考を促しました。

「子供のやりたいようにやらせて失敗させて経験させれば・・・」という意見には強く反対しました。。
私は、知らない土地で走る計画ほど危険が伴うことはないと考えました。視覚障害を持つ者として、駅のホームを疾走する修学旅行生に大きな恐怖を与えられた身として・・・。

3 7月11日、東京班別活動当日。

    7月11日 金曜日(私の日記から)

 東京班別学習、80パーセントほど成功でした。

 今回は6人ずつのグループごとに東京の中の学習スポット(教師推薦の15カ所の中から2カ所、自分たちの好きな場所1カ所の計3カ所)を決め、タイムスケジュールを組ませて自由に活動させるという企画でした。
行きと帰りの電車は2本ずつ指定されていて、どちらに乗るかは予め計画書に記して提出させてありました。
特急の指定席というのではなく、鈍行なのですが、旅行会社を通じてJRに交渉してもらい、指定された2本の電車ならどちらに乗ってもいいこと、団体割引で半額にしていただけることを約束してもらいました。
東京の滞在時間は6時間弱、とっても少ない時間です。

 旅行会社から班の数のPHSと、そのPHSの位置検知システムを借り受けました。
上野のマクドナルドに本部を構え、主任と教頭がパソコンの画面を食い入るように見ています。(ってこの部分は後からこうだったよって教えてもらったことですが・・・)何でも画面上に細かい地図が表示され、どこの班がどこの施設にいるか随時分かるんだそうです。
ところがPHSの電源が切られてしまうと、位置検知システムは作動せず、どこの班の消息がどの地点で消えたとかいうことで警告が出るそうです。
 そうすると消息が消えた地点の最も近くにいる先生に現場への急行命令が出るのです。
私はある男性の先生と一緒に行動し、池袋でちょっとおしゃれな店でご飯でも食べようかなとお店に踏み入ろうとした瞬間、サンシャイン水族館への急行命令が出て・・・。そこまで行ったはいいけれど目的の生徒にはなかなか会えず・・・、
そんなことをしているうちに次の急行命令が出て・・・。本当に目の回るような忙しさでした。

 結局指定された帰りの電車に24人も乗り遅れ、主任がJRの職員に頭を下げて後の電車で帰ってくる有様でした。
帰りの電車の中。私の乗った車両にもたくさんの本校生徒がいて、私の顔を見る也、
「陽東中学校の校歌歌うべ!!!」 と誰かが言い出して、私は
「一般のお客さんがいるからやめてくれ!!!」 と言うと、
「何だぃ、先生、いつもは自分の学校の校歌は胸を張って大きな声で歌えって言ってるべぇ!!!」 とか言いながら大合唱が始まっちゃって。
私は顔を四つに折り畳んでしずかぁにしていました。

 学校に帰ってから公共交通機関の利用の仕方が悪いと子供達は全員で先生方からカツを入れられ、反省していました。この反省、修学旅行に生きるかな?
     (7月11日の日記はここまでです)

4 東京班別活動を終えて。

 目が不自由であるが故に、見えている先生と同じことを同じようにすることは出来ませんでしたが、、私でなければ出来なかったこともあったなぁと感じています。
私の安全確保は同僚の先生や子供がしてくれた部分が大きかったです。

「先生、ホームから落ちないように危なくなったらみんなで声かけますから。」
 そう生徒に言われ、あ、これも私がいつもこの子達と一緒にいた成果だな、そう感じました。
 実際私、今までの人生の中で、周囲に人がたくさんいる状況の中、ホームから電車の線路へ3度ほど落ちたことがあります。
私が危険な状態になっていてもその危険を回避する声かけができる人は1人もいなかったのです。しかし、陽東中学校の生徒が1人でもその場にいれば、きっと私はホームから落ちなかったでしょう。

 この子たち、障害を持った人が危険な状況にいる時、それを放っておくことはないでしょう。これは障害を持つ教師が校外活動に関わる大変大きな意義ではないでしょうか。

 先生方はまた、
「南沢先生が必死になって集めてきてくださった資料、南沢先生から聞いた東京の素敵な部分、みんなに伝わるよう頑張ろう」
 そう実行委員の生徒達に言い続けてくれました。
 子供達は、私以外の先生が私をどう生かそうか真剣に考え、行動する姿をずっと見ていました。決して排除するのではなく、どうこの人の良さを生かすか、そう考えて行動している姿を。

 こうした連携に学び、実生活に生かしている生徒が増えていることを感じる今日この頃です。
 人間だからこそ、障害を持った人、お年寄り、体の弱い人、健康な人、みんなみんな手を取り合って助け合える社会が実現できるのではないでしょうか。
 根底からこうした社会づくりをするために、今後、学校教育が担っている責任は大きなものがあります。そしてそのことに最も大きな力を発揮するのが、障害を持ちながら教壇に立つ私たちの姿なのではないかと思います。

               2004年2月12日

* * *

教育実践の目次にもどる。

トップページにもどる。