幼稚園の教員として

                                 佐藤佳美

1 子どもと私の会話から感じること

「眼が見えなくて幸せ」と感じるようになったのは、私が幼稚園の教員になってからです。 この園に通っている園児と保護者のほとんどが私のような視覚障害者と関わることが
初めてのようですので、おもしろい会話がたくさんとびだしてきます。

子どもと私の会話をご紹介させていただきながら、私の考えを書きたいと思います。

子どもと私の会話 1

子ども「先生の眼はなんでおばけみたいなの?」

私「先生の眼が他のお友だちと違うことがよくわかったね。
先生は眼が見えないから皆とは違う眼なんだよ。」

こども「お薬飲んだら?」

私「病院に行っても、お薬を飲んでも治らないんだよ。」

子ども「ふうん」

子どもたちは感じたことを素直に聞いてきます。私は子どもの素直な興味をもっとも大切にしています。なぜならば子どもは初めて見る私の眼を単純に
「お化け」と言っているだけなのです。差別をしているのではないのです。もし、
そこで、他人が「そんなことを言ってはいけません。」と子どもに注意したら
どうでしょうか?子どもはもう私とは関わらないと思います。多くの大人たちは
「そんなことを言っては障害者に失礼では」と考え、子どもを叱ってしまうようです。
しかし、いつも健常者の中で生活している障害者は子どもの言葉で傷つくことはないと
思います。

子どもと私の会話 2

子ども「先生、どこへ行くの?」

私「事務所だよ。」

子ども「つれて行ってあげる。」

私「ありがとう。助かったよ。」

私を理解して初めて子どもの心に優しさが生まれます。ですから、私は子どもの
言葉(大人ならば一般的にはどきっとする)も大切にしているのです。そして、子ども
たちは他人の役にたつことにより、自信に繋がり、喜びを感じるようになっていきます。

子どもと私の会話3

私「ちょっと佳美先生通りたいんだけど。」
(廊下で座り込んで遊んでいる子どもたちに話し掛ける)

子ども「こっちだよ。ここならば通れるよ。」

私「(笑いながら)こっちは壁だから通れないよ。」

子ども「(笑いながら)なあんだ。わかっちゃったんだ。」

私「触れば壁だってわかるよ。」

私はこの、子どもの行動も意地悪ではないと思います。大人は見えないと言うことを
想像して考えることができますが、子どもには難しいこともあります。ですから、
見えない人はどのように理解しているのかを関わりながら確かめているのだと思います。

しかし、このようなことを書くと、「小さい時にきちんといけないことは注意を
しなければ将来子どもが意地悪になるのでは」と言う意見を耳にすることがあります。
子どもがきちんと成長していけば、
「なぜ、あなたはお化けの眼をしているのですか?」
などと中学生・高校生は聞かないでしょう。もし、そのようなことを大きくなって
言うとするならば、幼児期のしつけではなく、きちんと精神的にも成長していないから
ではないでしょうか?

2 仕事内容と障害に対する子どもの年齢別の理解

私は毎日午前中は未就園児の親子教室を、昼食から降園までは決まったクラスで、
その後は預かり保育で仕事をさせていただいています。

 親子教室も、預かり保育もパートの教員といっしょに仕事をしています。現在は
毎日の活動計画、保護者へのお知らせの作成などの、事務処理が多くなっています。

 昼食から降園の時間までは、子どもと私が自由に関わることができる時間です
ので、もっとも大切にしています。子どもは私と関わりながら自然に障害を理解
しているようです。

年長児は、私が見えないことを理解して関わります。手を引いたり、鬼ごっこ
などをしていっしょに遊んだり、絵本をいっしょに読んだり、楽しい時間をすごします。

年中児は、私の眼と他人の目の違いに気がつき、興味を持ち始めます。しかし、
年長のようなきちんとした理解はできません。

年少児は、私の眼の違いに気がつきません。ですから、眼の前に
「これ見て?」と持ってきます。私は必ず触ってそれを評価します。そのように
関わっていると、理屈ではなく、私の手に物を渡すようになるのです。

親子教室の子どもたちも年少児と同様です。出席カードに貼ってある点字は
「佳美先生の字」だと言うことがわかる程度です。

このように年齢別に考えると子どもの1年の成長は大きいことがわかります。
そして、小さくても私の手にものを渡すように、自然に関わり方を身に付けて
いるようです。

3 視覚障害教員の役割と課題

眼が見えない人間と関わることで、子どもも保護者も障害者に対する考え方が
変化しているようです。そして、障害者が特別な社会に生きている遠い世界の人間
ではなく、同じ社会に生きている人間として受け入れられるようになるのでしょう。
私は眼が見えないことがどんなことであるかを関わりながら学んでいただきたいと
思います。

仕事をする中で、特に事務処理には健常者の手を必要とします。ボランティア
の方や、同僚の教員に手伝っていただくこともしばしばです。しかし、私の仕事を
手伝うことで、いやな顔をされたことなどいちどもありません。本当に恵まれた職場
だと感謝しています。

近頃は、新しい手遊びや工作などをインターネットや本で調べることが増えて
います。保育の経験があるボランティアが必要であると感じています。

しかし、眼が見えたならば多くのボランティアとの関わりも、子どもたちとの
ちょっと変わった関わりも体験することができなかったでしょう。。障害は必ずしも
マイナスではありません。私の場合は、むしろ、プラスになっています。
わたしは、多くの人と関わる中で、障害は私の大切な
個性であることを伝えて行きたいと思います。

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