1981年、国際障害者年の5月3日、西日本在住の教師、学生など数人が大阪に集まり本会を結成しました。
当時は、途中で視覚障害者となった先生は退職に追い込まれ、また、視覚障害学生は採用試験でも点字受験を拒否されることがめずらしくありませんでした。
しかし、国際障害者年の追い風に乗って、翌年大阪の普通校で、全盲者の新採用と盲学校からの転勤がそれぞれ実現し、更に全国各地においても視覚障害教師の現場復帰や新採用が地元の人々の支援を得て少しずつ広がりました。
本会では、発足翌年の1982年から年一回の定例研修会を全国各地で実施してきました。毎年30名を越す会員が一堂に会し、授業実践・教育実践の交流を行い、仕事を続けていく上での方策をみんなで知恵を出し合い、考え合っています。夏の研修会は本会活動の大きな柱となっています。
また、各地の教育委員会、民主団体などの後援を得て、視覚障害教師による教育実践報告会やシンポジウムを開催した年もあります。このような取り組みを通して、視覚障害教師に対する理解を広め、その都度会員が増えていきました。
1987年には、会員個々の実践を集めた「心が見えてくる」を、1997年には、同じく教育実践集「目は見えなくとも教師はできる」を出版しました。
2007年には本会発足25周年を記念して「教壇に立つ視覚障害者たち」を出版しました。これらの出版を通して、視覚障害教師の存在意義を広く一般の人に訴え、多くの共感の声をいただきました。
さらに、2009年に放映されたNHKのテレビドラマ「チャレンジド」において、視覚障害教師の存在が注目されましたが、本会会員もその取材に協力しました。
視覚障害者にもインターネット利用者が増えてきたのに伴って、2001年、本会に対する世の中の理解を得るとともに、孤立しがちな仲間の人々にとって近づきやすい存在となるためにインターネットのホームページを開設しました。2002年には会のメーリングリストを開始し、会員間の迅速な情報交換と親睦に役立てています。
このようにして本会は拡大し、現在では会員数が100名を超えました。校種も中学校・高等学校、盲学校や視覚特別支援学校を中心に、小学校、養護学校、大学へと拡大しています。
各地で毎年のように教員採用試験の点字受験が実施されるようになり、合格して新規に採用されることがもはや珍しいことではなくなっています。
一方で、視覚障害を持つ教師にとって厳しい現実から目をそらすことはできません。視覚障害を持つ教師がその能力を十分に発揮できるための環境づくりにはまだまだ課題があります。
必要に応じて会員から相談を受け、学校や教育委員会と話し合いを持って、理解を求めてきました。私立学校などで正当な理由もなく一方的に教壇を外されたり、待遇面で不当な扱いを受けたりした事例は、残念ながら決して過去のことではありません。
そのような人権侵害の事例に対しては、全国の会員や支援者に呼びかけて、支援活動を展開してきました。聖心ウルスラ学院・愛知学院の事例では、裁判において視覚障害を持っていても教育活動が行えることを実証し、その正しさが認められました。
このように、私たちの今日までの歩みは先駆者の先生方の粘り強い闘いと弛まぬご努力の歴史であります。
これからJVTはこの30年の歩みの重みを改めて噛み締め、研修と実践交流を通してさらなる可能性を模索しながら、また新たな歴史を刻んでいけることを願っています。