お祝いの言葉(2)
【指田忠司】

 障害者職業総合センターの指田でございます。JVT結成30周年おめでとうございます。

 私が、JVTの皆さんに初めて会ったのは1994年ですから、もう18年前になります。ここでは、JVTのみなさんと会う前の私の経験も含めて、視覚障害者と教職ということで、お話をさせていただきたいと思います。

 私は中途視覚障害で、高校1年で失明し、東京教育大学教育学部附属盲学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)に入学して初めて盲教育を受けました。点字で勉強したのはそれからのことです。

盲学校に入ってまず思ったのは、みんな学校を卒業したらどんな仕事をするのかということでした。

 大学に行った先輩方は、教員免許を取っていました。どうして教員免許を取るのかと思って、さらに尋ねてみると、これが一番とりやすいし、就職のときに役立つということでした。そうか、教員免許を取ると仕事があるんだ、と思ったわけです。

 しかしよく考えてみると、盲学校の教員として就職するには空きがなければなりません。つまり、誰かが辞めなければ就職の機会はないわけです。理療科の先生方はたくさんいるのですが、普通科の先生はあまりいないのです。これでは大学に行って教員免許をとってもなかなか就職できないと思いました。

 そのような中で、1971年に大阪で初めて藤野高明先生が教員採用試験を受けられ、合格されたという話が高校生の私にも聞こえてきました。点字毎日の報道だったと思います。

 その記事を読んで、すごい方がいると思ったのですが、まだまだ自分にはあまり関わりがないかなと思いつつ、もう少し別なことをしたいと考えて大学進学では法学部を選んだわけです。

 法学部に入ってからも将来の進路について迷い、司法試験の勉強をしながら教員免許を取るための授業も受けることにしました。ちょうどその頃、盲学生の団体に入ったところ、JVTの会員でもあった高田剛先生にお会いしました。

 高田先生は、東京で1974年頃から教員採用試験受験の運動に取り組んでおられました。東京・埼玉・千葉の普通学校で英語を教えたいと教育委員会との交渉を始めていました。

 多くの先輩方が教員免許をとり、盲学校に戻ってくると思っていたのに、この先輩は違う目標を掲げていたわけです。どうしてだろうとある意味驚きをもってその先輩の行動を見ていました。

 そうした中、高田先生ほか数人の視覚障害者が受験をしていたわけですが、何回受けても点字の試験がうまくいきませんでした。要するに、試験問題の点訳がよくなかったり、時間延長が十分でなかったりという受験条件の問題があったわけです。

 また試験では、ペーパーテストに合格しても今度は面接段階が難しいという課題に直面しているという報告もありました。たいへんなことになって来ている、というのが実感でした。

 その後しばらくは自分自身の課題で精いっぱいで、学生運動といいますか、視覚障害学生の集まりや活動からは遠のいていました。

 その後、1990年に視覚障害者の職業に関する研究をするためトヨタ財団から助成金をもらいました。アメリカとヨーロッパに行って事例研究をするという計画を申請したのです。

 その予備調査で、面接調査の項目や方法について国内でテストを行うため有本先生のところに伺いました。1991年6月だったと思います。

 白菊高校の準備室で有本先生からお話を伺った後、授業も見学させていただきました。有本先生は、板書もしていましたが、事前に準備したプリントを使って授業を進めておられました。そういう状況を見ながら外国で行う面接調査の構想を練ったわけです。

 1992年に障害者職業総合センターの研究員になってから、1994年には当時担当していた研究の一環で、JVTの皆さんにアンケート調査に協力していただきました。そのため、広島で開かれた夏の研修会に初めて伺いました。

 それ以来、ほとんど毎年のように研修会に参加させていただいています。研修会では皆さんの状況についていろいろと個別にも伺い、また、何かの参考になればということで、何回か講演もさせていただきました。

 ここで、1994年からの18年間の変化について少し振り返ってみます。

 まず、この18年間にJVTの会員が随分増えました。

 1996年に行政管理庁・文部科学省・当時の労働省の行政勧告がありましたが、これは教育委員会の教職員の雇用率が非常に低いということから出されたものです。

 現在、教育委員会の法定雇用率は2パーセントですが、まだ達成していない都道府県がかなりあります。昨年は未達成の県が17だったと思いますが、この数自体、かつてと比べると大きく改善されています。

 ここで注意したいのは、教育委員会に課されている法定雇用率は、教員だけではなく職員も含めて障害者の採用を進めなさいということです。

 1996年の行政勧告以後、文部科学省でも各教育委員会に対して積極的に取り組むように指導し、教員採用試験の実施や実施方法などについて調査を行っています。その結果をみると、この18年間にかなり改善されてきていると思います。こうした影響もあって、新規採用の視覚障害教師が増え、JVTの会員増にもつながっているのではないでしょうか。

 もう一つ、この18年間に大きく進歩したのは視覚障害者の情報処理を支える技術です。

 この点で思い出すのは、1995年の熊本大会で板書の問題を話したときのことです。授業で板書の代わりにプロジェクターを使ったらどうかという提案をしました。それに対して皆さん多くの方が、それは視聴覚の先生方が使うもので百万円ぐらいするから買えないしどうしましょう、という反応でした。

 しかし、それから5・6年経った2000年代に有本先生のところに伺いましたら、プロジェクターを使ってパソコンといろいろな音声化ソフトを使い授業をしていました。

 先ほどの馬場先生の報告のなかにもありましたが、インターネット上のホームページを通じた情報提供、メーリングリストの活用など、会員相互の連絡方法も大きく変わってきました。このように、新技術を大いに取り入れて自分たちのために使っていく先生方が増えてきたことは大きな進歩だと思います。

 もう一つは、このような視覚障害者の集まり、私は職能団体と言っておりますが、こういった会がこの20年で大きく育ってきたことです。

 あんま、はり、きゅうの資格をもっている方々はその集まりがありますが、視覚障害者の教職関係者の集まりとしてJVTほかのグループがあり、公共図書館に勤めている方々の集まりの「なごや会」があります。

 それから、もともとは公務員を中心に集まっていた中途視覚障害者の復職を考える会(現在のNPO法人タートル)があります。こうした会の中で先鞭をつけてきたのが、このJVTで、30年前から活動しています。

 この会の大きな役割は、同じ障害を持ち、理解し合える土壌に働くピアーという立場でさまざまな情報を交換し、お互いを支援していくことです。その活動は大きく発展してきています。しかも、JVTでは世代的に活動が若い方々に引き継がれており、これが非常に大きな特徴になっていると思います。

 これからも若い方々の力を大いに取り入れ、新しい技術を活用しながら会の発展を図るとともに、同じような問題に直面している多くの方々に手をかしていく体制を作り上げていただければと思います。今後の皆さんのご活躍をお祈りいたします。


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