お祝いの言葉(3)
清水建夫 皆さん、こんにちは。今日はお招きいただきましてありがとうございます。全国視覚障害教師の会30周年、誠におめでとうございます。

 弁護士の話というのは、皆さん、なかなか聞く機会が少ないと思うのですが、弁護士は喧嘩はやっぱりプロです。皆さんが何かちょっと言えないというときは、ぜひ、メールで申しこんでいただければ対応いたします。

 皆さんからいろんな相談を受け、問題があると思われる事案についてはすみやかに県の教育委員会、東京の場合は教育庁に、電話を入れたりFAXをします。

 皆さんにとっては、教育委員会は強い権限のあるところと思われているかもしれませんが、実は大したことはないのです。

教育委員会は都道府県や区市町村に置かれている行政委員会で、そこに勤めている人たちは公務員で、喧嘩の意味では全く素人なのです。

 喧嘩のプロである弁護士からすると、ある意味では素直なところがあり、こんな問題があるがどうすると言うと、結構簡単に引っ込むことがあります。

 たとえば、保守的といわれている県の教育委員会でしたが、そこで復職が認められなかったある先生について、県の教育委員会が発表している基本方針と違うのではないかと裁判も起こさずに電話で言っただけで簡単に撤回して復職を認めました。

 それから、視覚障害ではないのですが、車椅子を使用する東北の中学校の教師をしている数学の先生についてです。

ずっと持ち上がりがなく1年生ばかりで、教師としての喜びがないし担任も持たせてくれないという相談でした。

 私は、県の教育委員会や市の教育委員会、学校長に、何回も内容証明を出しました。また、教育委員会や校長に会いにも行きました。

 こんな不条理はないではないかと言った結果、まだ若い先生ですが、今は、県の方も障害を持った教師としてある意味では大切にしてくれて大学院に行くなどの勉強の機会を与えてくれています。そういう意味では見方が変わってきています。

 ところが、私立は厄介です。教育委員会はみんな公務員ですから、自分がいるときに下手をして責任追及をされると困るため、ある程度おかしいではないかということを納得すれば、案外素直に教育委員会側の言い分を引っ込めてしまうところがあります。

しかし、私立の場合には理事長以下が凝り固まっていて、それを突き崩すのは結構大変です。

 いま係争中のS学園も、理事長や学園長が凝り固まっていて、障害のある教師への偏見をどう突き崩せるかというところです。

今のところ、なんとか首は留まっていますが、図書室の方に回されてA先生の本来の教師としての仕事ができていません。

 しかし、学園は、A先生の書いたものをこれはいいとみんなのテキストに利用しているという本当に自分勝手な状態です。

 働く障害者の弁護団をつくったのは2000年の6月です。

そのきっかけは、さくら会という知的障害者の当事者の会が東京にありまして、かなり熱心な青年たちの団体で、意欲的で、

障害者雇用促進法が1998年から改正になり、雇用率が1.6%から1.8%になった。その0.2%は自分たちのものだ。いろんな要求をしていこうという、しっかりとした考えを持っていました。

 そこで障害者の労働問題をやっている清水弁護士を呼ぼうということになり、呼ばれて勉強会をしたときに私がみんなで知的障害者ユニオンをつくろうと言うと面白いねとものすごく盛り上がりました。

 ところが、さくら会の中心となっていたKさんが1年もたたないうちに勤め先の工場の大きなクリーニングの機械に挟まれて亡くなってしまいました。

私は4日後に行き、ちょうどお医者さんがご臨終ですと言うところに立ち会ったのです。それを機会にやはり代弁する者が必要だということで、働く障害者の弁護団を創ったのです。

創って1年たつかたたないうちに、窪田さんのウルスラ学園高等学校解雇事件が発生しました。

窪田さんの場合は、視覚障害が前から2列目ぐらいの生徒さんの顔がもうぼんやりとしか見えないという状態になっていました。

 この事件は、弁護士として非常に面白い事件なんです。面白いというのは、申し訳ないのですが、善と悪がはっきりしていて、

しかも悪役として窪田さんの首を切ったのがイエス様に仕えるシスターの方々で、イエス様の教えと全く相反することを強行したということです。

 それをまた、地元の新聞やNHKも大々的に報道してくれましたし、私も裁判の都度記者会見をして、ひとつひとつの問題についてああだこうだと説明しました。

 1年と少しののち、学園側が音をあげ、最終的には数学教師としての復職ができました。

 労働裁判で復職というのは何年やっても実現しないことが多いのですが、窪田さんの場合はスピーディーに復職できた部類です。

 学園側はまた、模擬授業を意図的に低く評価して証拠に出すという公平・公正に欠けるところがありました。

 在校生を巻き込むのは気の毒なので頼りにしませんでしたが、卒業生たちが窪田先生のおかげでこんなに良い教育を受けることができたという陳述書を書いてくれ、裁判官の心を動かしました。

 三宅勝先生・広瀬逸子先生は常に裁判に一緒に立ち会い、窪田さんを励まし、あるいは私にいろいろなアドバイスをして下さいました。

そんなわけで私としてもこの全国視覚障害教師の会の連携はすごいなと思いました。

 その裁判で証拠として使った資料は、今は、高齢・障害・求職者雇用支援機構になっていますが、当時は日本障害者雇用促進協会と呼ばれていたところの資料でした。

そこでは教師として活躍されている長井先生の様子を小冊子のなかで熱心に紹介していました。

 同協会の別の資料では、別の教師の方の紹介をしながら「こういう厳しいなかで、障害を持ちながら教壇に立っておられる姿を見ると自分の励ましになる」という生徒の感想を載せていました。

障害を持った教師や障害を持った人が働くことについて当時追い風がかなり吹いていました。

それは1981年の国際障害者年で「完全参加と平等」と言われ、世間の人にもその考え方が次第に浸透するようになってきていました。

 当時私は日本の国も障害のある人の権利が認められる方向に少しずつ良くなっていくと思いましたが、私の今の感想としては、むしろ非常に後退をしています。

 教師の障害者雇用率は、まだまだ法定雇用率を達成するところまでいきせんが、それ以外の職種の雇用率は、確かに率では前進しています。けれども中味はかえって悪くなっていると思います。

 以前は、知的障害の方も卒業すれば正規雇用として就職できていましたが、今それができるのはよほどのことです。

同機構が出している小冊子でも別に正規雇用でなくても雇用率にカウントしてもいいとはっきり書いています。流れは逆風で、かえって冷たくなっています。

 障害をもった教師の方の意識も、少子化の流れのなかで、無理に無理して教壇に立たせてもらっているという遠慮した気持にさせられています。

雇用する側も無理に無理して教壇に立たせてやっているという雰囲気が全体を支配しています。

 長井先生が強調されていたのですが、障害を持った教師はその学校にとっても生徒の人生にとっても重要だということを私も思いますし、皆さんも確信を持ってご活躍いただきたいと思います。

 皆さんの抱えているお困りの問題については、メールその他、可能ななかたちでご連絡いただければ対応いたします。

私共弁護士は喧嘩のプロであると同時に、ストレスの請負人です。特に退職問題とか解雇問題を一人で抱えていると誰でもうつ状態になります。

 最初に申し上げたように、私どもはその種の喧嘩は慣れていて、けんかのプロです。 ぜひ、これからもご活用いただければと思います。

 今日はどうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。


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