教師として自信を持てた瞬間(3)
後藤芳春

 私は1983年、昭和58年に三宅先生はじめ多くの方々の力添えと当時の私の勤務校の校長先生の力添えもあって教壇に復帰しました。

 復帰したのですが、最初の授業のやり方は手探りで、プリントを配って、サブノート形式で答えだけ書かせていくというものでした。しかし、このやり方ではどうも生徒が納得せず「もうあの先生あかんわ」と、教科担任を代わって欲しいという声が出たのをいまでも覚えています。1986年、昭和61年ですか、チェルノブイリの事故が起こった年にそんな問題が出てきました。

 これは大変だと三宅先生に相談しました。三宅先生から、いや、自分でやりなさいと天に唾した者は自分で受け止めるぐらいの覚悟をしなさいという、非常に厳しい言葉をいただきました。これは大変なことだともう進退きわまったということになり、どうしたかというと、授業の仕方を完全に変えました。

 まず、教科書に書いてあることを覚え、覚えたことをきちんと生徒にわかりやすく板書しました。本当に形も中身も手探りでしたがそれをやって教科書の何ページの何行目を見てごらんということを教科書を見ないでやれるように授業の工夫をしていきました。

 すると、生徒というのは不思議ですね。私の一生懸命やろうとしたことが伝わったのです。三宅先生のお話と全く一緒で、まず授業がしーんと静かになったのです。生徒がよく勉強するようになりました。ノートを提出するように求めるときちんと書いているし、それどころか、質問まで書いてくるのです。

 生徒が変わりました。自分が変わると生徒が変わるということです。うちの学校が共学校になり、いわゆる進学校の路線を歩んでもそのやり方がずっと続いていきました。

 何が楽しみかというと、やはり生徒から「授業がわかった」とか、「先生、どこどこの大学にとおったで」とか言われることです。中には「先生より偉なったで」と言うので「おお、偉い偉い、よしよし」と答えました。これが教師というものだと、嬉しかったです。

 なかには、私の教えた生徒が自分は社会科の教師になりたいと言って県内の教育大学に行き、そこで最高の学長賞までもらったというようなこともありました。「社会科の教師になります」と言ってくれたときは本当に嬉しかったです。

 他にもたくさんの生徒が喜んでくれました。授業がよくわかる、授業を受けてよかったという声を毎年聞きました。

 やはり、生徒にわかる授業をするためにはその前に自分が本当にわからなければいけません。100%、いや120%、教材と関わり、生徒と関わることを前面に出してやってきました。

 やればやるほど生徒が反応してくれる、生徒が応えてくれるという、これは何ものにも代えがたいことです。お金などには代えられません。そういうすばらしい経験を今から2年前までいたしました。


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