韓国ツアー事務局レポート
事務局 南沢 創

 「海がだんだん近くなり、波が見えます。その先に滑走路が見えてきました。車輪が地面に……」(グワワワワァン……)「無事、着陸しました。」 ガイドとして参加したTが、座席前方に天井から釣り下がる大型モニターを見ながら解説する。それを聞きながら、無事、今回の大きな企画を終え、帰国することのできた喜びと安堵感が胸中を支配した。

 今回の企画がもちあがったのは、大きな被害を残した東日本大震災の2ヶ月前、2011年の1月のことである。その前年、2010年の暮れに、韓国で働く視覚障害者が来日し、日本点字図書館で日本の視覚障害者と交流した。その会にJVT=全国視覚障害教師の会(以後本会と記す)の重田代表が参加し、その様子をレポートにまとめ、本会のメーリングリストで発表した。そのレポートには、海を挟んだ隣国、韓国にも、視覚障害をもつ教師がいることや、いつの日かお互いに情報交換をしたり、協力体制を確立したりしていきたいという熱い思いがつづられていた。たくさんの会員がそのレポートに感銘を受け、親善交流大会実現の模索が始まった。

 実現には3年の月日を要した。乗り越えなければならない問題が山積していた。最も大きな問題は、私たち自身の心の中にある、ある種の不安心理だった。視覚障害者の一行を乗せてくれる飛行機はあるだろうか、韓国の社会は、日本の障害者の一行を快く受け入れてくれるだろうか、安全は確保できるのだろうか、宿泊できる場所はあるだろうか……、多くの会員が親善交流大会の実現を切望しながら、一歩踏み出すことを躊躇していた。

 親善交流大会実現に向けての新たな一歩を踏み出すきっかけは、2013年の夏、福井県で行われた本会の夏季研修総会での、指田忠司氏からの強い進言である。指田氏はそのとき、韓国の視覚障害をもつ先生方から、親善交流大会を実現させてほしいという強い要望を受けていること、《いつか実現させる》ではなく、《いつやる》という日程を決め、準備を進めることが大切であることを、参会者に向けて熱く語った。

 私は指田氏の言葉を受け、親善交流大会実現の足がかりになればと、妻に手を引かれ、同年8月24日から4日間、韓国ソウルを訪れた。

 初めてのソウルの街は、いたずらっ子がおもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした雰囲気だった。タクシーに乗れば、目的地が進行方向と逆ということで、そのままバックで車の流れに乗った。地下鉄を利用し、降りた駅で改札を通ろうとしたら、切符の情報が認識されず、駅員を探してもどこにもおらず、困っていると「こういうときは改札のバーをくぐるんだよ」と教えられ、ようやく出ることができた。夜、大通りを歩くと、デモを警戒する警察隊が何万人も、武器の上にヘルメットを置き、その上に座っていた。4日間の滞在で、視覚障害者とすれ違うことは、とうとう一度もなかった。この街のどこかに、視覚障害をもつ教師が活躍していると思うと、どんな風に働いているのだろう、という強い興味が沸いてきた。

 帰国後、翌年に親善交流大会が実現できるよう、年末、個人的に韓国を訪れ、現地の視覚障害教師と情報交換を行おうと考え、本会のメーリングリストで同行希望者を募った。重田代表、山口前代表、宮城教育大学教授の長尾氏がすぐさま同行を申し出てくれた。

 目の不自由な参加者だけでは現地での行動が難しいだろうと心配していると、ボランティアガイドとして同行を申し出てくださる方が現れた。目の見える人が多数参加するのであれば……と、また新たに視覚障害をもつ参加希望者が続出した。その中には、一行の快適な旅のためにと、目の見える友人をガイドボランティアとして誘い、参加する者もいた。

 最終的に全盲者10名、肢体不自由者1名、ガイドボランティア5名、通訳1名の計17名による日本側使節団が結成された。さらにソウル在住の2名が、日本側代表団の通訳として参加してくださることとなった。そして今回の企画は、本会の正式な行事として執り行われることとなった。

 重田代表の発案により、参加者相互の連絡用メーリングリストが立ちあがった。活発な意見が飛び交う中で、一人ひとりが自分にできることは何か考え、行動に移していった。

 そして韓国へ旅立つ日を迎えた。午前中、東京都障害者スポーツセンター(板橋区十条)で壮行会が行われ、たくさんの人たちに見送られる中、一行は韓国に向けて出発した。

 韓国に向かう飛行機の中、私は今までのことを振りかえり、涙があふれた。素晴らしい仲間が集まり、たくさんの人に支えられ、私たちは今、とても大きな一歩を踏み出したのだ。考えてみれば、親善交流大会の開催を模索するために韓国を訪れる計画をMLに提示して以来、終始一貫、参加者全員にとって、よき出会いの場となること、充実したかけがえのない体験となること、そして無事に帰国できることのみを考えて来た。果たして全員にとって、今回の旅はそのようなものになるだろうか、不安は消えなかった。

 金浦空港では韓国側代表のメンバーが大型バスを用意して日本側代表団を迎えてくれた。海を隔てた二つの国の、視覚障害教師たちの出会いの瞬間である。

 韓国の若き教師たちは、アスファルトの隙間にたくましく根を張り、花を咲かせるタンポポのように力強く、そしてたのもしく感じられた。日本側代表団は、韓国側代表団の熱烈な歓迎を受け、親善交流大会は大成功のうちに幕を閉じた。

 私は今回の旅で、このレポートにはとても書きつくすことのできないほどたくさんのことを経験した。それらは時間をかけてじっくりと文章にまとめていくつもりである。

 帰国後、重田代表から個々の体験を本会のMLで紹介するために、レポートを提出してほしいという依頼があった。真っ先に書かなければならないと思った。しかしそのとき、今回の旅における自分の役割の一つが心に引っかかった。それは、発案者の責任として、参加者にとって充実したかけがえのない体験の場を保障することができたかどうかということである。裏を返せば、一人でも今回参加したことに意義を見出せなかった者がいたならば、そのことを踏まえたレポートにしなければいけないだろうと考えた。

 そうしているうちに、レポートが少しずつ集まり始めた。そこには一人ひとりのかけがえのない思い出が、丁寧につづられていた。一つ一つのエピソードを読み終えるたびに、自然と涙が湧いてきた。そしていつしか、「発案者の責任として……」などと思っていた自分が恥ずかしくなった。なぜなら全員が、誰かの支えはあったにしろ、最終的に自分自身の力で今回の旅をかけがえのないものとしていることを強く感じたからである。

 私にとって今回の旅での一番の収穫は、参加者全員で力を合わせて一つのことを成し遂げる中で、一人ひとりのよいところ、底力を知ることができたことである。そして、この仲間がいれば、どんな困難でも乗り越えられるという確信を得たことである。

 JVT=全国視覚障害教師の会は、視覚障害をもつ教師のための研修団体である。そして今回の旅はまさに研修団体にふさわしい企画だったと確信している。

 視覚障害をもち、教育現場にしっかりと根を張るためには、できないことを嘆いたり、努力しても克服できないことに延々と時間をかけたりするのではなく、自分にできることを確実に形にしていくことが大切である。向かい合っている子供たちのために自分にできること、できる形を考え、提案し、周囲の理解を得ながら実現させていく、今回の韓国訪問はまさに、参加者一人一人にとって、そのための予行演習となった。

 旅を充実させ、かけがえのないものにしていくために、参加者がどんな奮闘をしたか、全員のレポートを読み、感じ取っていただけたら幸甚である。


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