私の学校生活について
韓国視覚障害教師の会会員 キム・ギョンミン

 みなさんとお目にかかれて嬉しく思います。私は、インワン中学校で英語の教師として勤務しているキム・ギョンミンです。今日、このような意義深い場所で私の経験や、考えを分かち合える機会を持つことができて、光栄に思っております。

 今日、この場で私は、授業や生活指導、業務という二つの大きなテーマを持ってお話をさせていただこうと思います。私が味わった経験とみなさんが味わった経験がそれぞれ異なることもあるかと思いますが、教師として、私が感じる残念さや、問題点は、共通する部分も多いのではないかと思います。お聴きいただきながらお互いの状況を共有し、必要に応じて共に解決方法を模索し、互いにアドバイスする時間となれば幸いです。

 それでは、一つ目のテーマについて先ず申し上げます。

 授業と生活指導は、教師として当然しなければならないものであると同時に、その人が良い教師かどうか評価されるときに最も重視される基準の一つでもあります。ですので、今までずっと,授業力と指導力を向上させたいと願い続けて来ました。そして今よりももっともっと良い教師になるために情熱を注いでいる分野です。

 先生方は、授業の準備をしたり、実際に授業を進めたりする上で,どんな所が一番大変でしたか?

 私は、私の目線や視点が生徒の目線や視点とどうしても合わないという点が一番大変でした。実は、このことは、いろいろな意味を含んでおります。先ず、盲学校を出た私が一度も受けたことのない視覚的な授業を設計しなければならないという点が問題でした。生徒が見る世の中と私が聴く世の中は違うので、子供達は、私の話し声だけが続く持続的な聴覚的刺激には直ぐに退屈さを感じるようになってしまいます。そのため、私の全ての想像力を総動員してPPTの資料や映像の資料を探しました。私が先にアイディアを浮かべ、インターネットの検索を通して資料を収集していて限界に当たると、補助の先生に助けを求める、といった方法で準備をしました。

 また、子供達が授業の合間に体を動かせる英語のゲームを作りました。そのことで私とは異なる状況、異なる条件の元で育った生徒に,目の見えている教師ならごく自然に視覚的に伝えることを,私は自分のできる方法で最大限伝える努力をしてきました。しかし、生徒が,私やスクリーンもしくは黒板に目が行かずに違う方向を見ている時、補助の先生の助けなしでは、私が直ぐに指摘することができないということが残念でした。 補助の先生の鋭い視線で生徒を抑えられた時、本当に羨ましかったです。それで、私は、声を最大限に太くて低くして目ではない全ての表情で表す方法を使っております。そうしていたら、残念なことにいつでも私の声が女性らしさを失うようになっていってしまいました。

 次に生徒が助けを求める時に、直ぐに助けてあげられなかったことがかなりあります。

 英語という科目は、生徒のレベルが千差万別であるため、生徒の近くまで行って指で一つ一つ指し示しながら支援して,やっと授業に追て来る生徒が多くいます。そんな場合には、私がそういった生徒を見つけて直接訪ねて説明をしてあげるのが一番良いのですが、いくら歩き回りながら生徒を見回していても,静かで消極的にしていたり、自分がどんな所をどのように教えてもらわなければならないかさえも説明できない子供達には、彼らの教科書や表情を見て私から行って助けられないのが現状です。

 それで、こういった場合には、直ぐに補助の先生に手伝っていただいております。未だに授業や生活指導には,大きな課題があります。該当の科目に対する専門性と共に生徒との関係も向上させていかなければなりません。時には、クラスの全ての生徒があることを見て笑っているのに、私はその理由が分からなくてもどかしかったことがあります。センスのある子供達の場合には、私があえて聞かなくても状況説明をしてくれたりもしますが・・・。

 このように細かくて何でもない部分で生徒と同じ方向を見ることができずに、同じ感情を分かち合えないのでは、生徒が視覚障害の教師に感じる断絶の気持ちはもっと大きいだろうと思います。

 それで、私は、普段生徒との対話をとても大事に考えております。対話は私も十分上手にできる領域であり、対話は、授業の活力になります。そのために私は、授業中にも生徒の反応を最大限引き出すよう心がけています。そうすると,その時々に感じる感情や関連した経験について話し始める生徒が出て来ます。私はこのような雰囲気を温かく受け入れるよう心がけています。

 互いの話を聴き、先生に自分の考えを言うのに楽な雰囲気になれば、子供達と教師の間、生徒と生徒の間の対話を通じて絶え間ない聴覚的な刺激におかれることになります。そして,お互いの話にしっかりと耳を傾けるようになります。

 年末頃になると、同じ所を見ながら笑う回数と同じくらい,同じ物を聴き、笑う回数も増えるようになります。授業がとんでもない方向に流れたり、生徒同士の対話があまりにも長過ぎると、それを適当に切り、次ぎの内容にしぜんと進めて行くのも教師の力量です。

 次は、業務に関して説明します。

 実は私は、毎年年末に,業務の役割分担の会議の所が針のむしろのように感じられました。

 私は、人文社会部に入って3年目になりますが、今までに受け持った業務というのは、校内の英字新聞を作る作業がほとんどでした。それさえも、今年の人文社会部長がお忙しくてできませんでした。このような現状の中で、何時もの業務の役割分担の会議の時は、私は、周りに気を使うことになりました。これと言って、周りの先生方は,私がその場に居づらくなるような雰囲気を作っているわけではありません。しかし,多過ぎる業務のために大変そうにしていらっしゃる先生方を拝見すると、申し訳ないという思いとともに,私も業務を受け持って立派にやってみせたいという思いが強く湧いて来ます。

 この前、業務の役割分担の会議の時にも居心地の悪さに耐え切れない私は、結局教頭先生を尋ねて行って来年には、小さな業務でも持たせて欲しいと申し上げました。その業務というのが、結局は補助の先生の業務になるでしょうけど、それ一つでも持っていると、私の心が楽になるのではないかという一心でそのように致しました。

 ところが、よく考えて見ると、私がそれで満足していても良いのだろうか、という問いにぶち当たりました。先ほども言ったように、業務を受け持つというのが、教師としての私のキャリアが上がるということよりは、私も業務を一つやっているという自分の慰めそれ以上でも、以下でもないと考えるようになった分けです。

 正直に申し上げますと、教師の生活が3年目に入った今年は、他の年に比べて、授業や生活指導の面でかなり楽だったと思います。今年、私が受け持った子供達が比較的に良くておとなしかったりすることもあったり、私が以前よりベテランになったことも一つあるでしょう。

 両方の内、どちらが合っているのかは来年になれば分るでしょうが、こうして、授業や、生徒達との関係の中で達成感を味わっていると、担任の業務に対しても、改めて考える余裕ができた訳です。

 昨年の今頃から最近に至るまで、私の周りにいらっしゃる方は、私が担任をやって見ることを引き続き進めていらっしゃいます。昨年には、教頭先生に、もう少し後に受け持ったらどうなのかと言われて、そのまま過ごしたりはしましたが、最近は時が来たのではないかという気になって、悩んだ末に私の考えを教頭先生に申し上げておいた状態です。

 私には、とても大変で、困難な決定事項でした。担任を受け持った場合、私が担わなければならない仕事や、PTAとの関係、生徒との関係は、今の私の心に恐ろしく重く圧し掛かっております。

 一年を振り返ってみると、学校に適応できない生徒が何時もより多く、事件や事故の多いクラスのあることが当たり前のようにありました。しかしもし、私がそのクラスの担任だったとしたら、生徒達、PTAの方、そして、同僚の教師までもその原因を私に求めるかもしれません。先生の目の届かなかった子供達だから問題が大きくなってしまったのだろう,と。

 あるPTAの方は、学期が始まるその日にクラスを変えて欲しいと言って来るかもしれません。私が担任をするというのは、この全てを担うという心構えでやって行きたいということです。

 担任をもつということは,私が普通学校の教師になると決めた時ほどの勇気が必要な,もう一つの大きな挑戦になることでしょう。傷つくのは嫌でプライドの高い私がそうであるにもかかわらず、この問題をおいて大きな決心をしたのは、今じゃなければ改めて勇気を出せないと思ったからです。

 最初の学校で担任の経歴のない私を,二番目、三番目の学校で担任教師として使ってもらえる確率は皆無に等しいと思っています。幸いなことに、今現在は、年も若いので、ミスしたり、知らなくても笑いながら学ぶことができますが、一年一年としを取れば取るほど、新しいことに挑戦することも、尋ねることも、大変なことになるはずです。

 一生教職に留まっていると考えた時、年が40を過ぎると大体部長の席に座り、後輩の教師に仕事を教えてあげて授業や、生活指導に対するアドバイスもしてあげるようになります。私が教科の教師のみに留まり、年の取った教師になったら、若い教師よりも学校の業務が回って行く事情を飲み込めなくなり、後輩の教師、同僚の教師の間でも認められなくなると思います。業務で成果がお見せできないとなれば、クラスの経営の側面からでも経験を通じてノウハウを積み重ねて行かなければ、年を取っていっても堂々といられないような気がします。

 担任を受け持つようになると、PTA、生徒の管理は、私がするとしても、パソコンで行うさまざまな業務の大半は、補助の先生が担うようになることでしょう。

 現在、我が国の補助教員の年収は、1500万ウヲン(約150万円程度)なのに、それに、担任の業務を担うようになれば、普通の勤務時間を超過する日が多くなるはずです。そうなると、その年収は、とんでもなく少ない収入になります。

 こういった問題もやはりこれからあらためなければならないと思います。にもかかわらず、我が校では、モデル校として、担任は主に担任の業務だけをし、担任じゃない方は、その他の業務を受け持ってやっている学年部体制で回っています。担任の業務を学ぶのに最適化された環境なのです。

 未だに韓国では、視覚障害の教員が1年間担任を受け持った前例はありません。来年に私が本当に担任を受け持つことができるのかどうかははっきりは言えませんが、このことについて、共に悩んでいただければ幸いです。私達のプライドや、存在意義がかかった問題だからなのです。

 この他にも共に分かち合いたいお話が沢山ありますが、時間の都合上これにて終わらせていただきたいと思います。

 みなさん、私達は、我々が考えていることより、もっと大きな仕事をしており、我々が考えているよりもっと可能性を持っていると思います。我々の人生で簡単に得られたものなど,ほとんどありません。長い旅を共にする我々が互いに励ましあって、切磋琢磨し合いながら進んで行く時、我々は、もっと遠くへ行くことができます。ありがとうございました。

 以上です。


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