支え合い共にあゆむ教師生活
栃木県小学校 音楽教師 南沢 創

(リコーダー演奏「アリラン」)

 みなさんこんにちは、南沢 創と申します。小学校で音楽の先生をしております。今年で教職12年目となります。最初の6年間は一般の中学校で、次の3年間は盲学校で高校生を教えていました。そして小学校で3年を終えようとしています。

 ところで先程から「悩みを分かち合いましょう」とか、「苦しみや悲しみを乗り越えて」という話がたくさん出てきていますが、実際、私は悩みがないことが悩みかもしれない……というのは冗談です。実際はものすごい大きな悩みとか困難を抱え、それを乗り越えるために、いかに悩まず、苦しまず、先生という仕事を楽しむか、そのことを考えて来ました。また、それに答えを出すべく考えることこそ、私たちに課せられた大きな課題であると思っています。

 私は、目の不自由な先生の在り方には、二通りあると思っています。

 まず一つ目ですが、一般の先生と同じ仕事を同じようにこなすことを目指す在り方です。担任をしたり、授業を先頭に立ってバリバリ導くような在り方です。

 二つ目は、できないことは横に置いて、自分のできることを精いっぱいやる中で、周囲と協力して活躍の場を増やしていくような在り方です。

 私は12年の教師生活の中で、この二つの在り方を試してみました。最初は自分で授業をバリバリ引っ張ってやっていました。しかし気付くと、いつの間にか孤独になってさみしいなあ、という思いにさいなまれていました。また、周囲からは「わがまま」とか、「あいつは独裁者だよ」と陰口をたたかれ、そのことで悩むようになっていました。「どうやったら授業がうまくいくんだろう」とか、「どうしたら子供たちとうまく関係をつくることができるんだろう」と考えれば考えるほど、悩みが大きくなるばかりでした。

 そこで私は発想を転換し、方向修正を試みました。私には目の不自由な教師として子供たちに向かい合うという特別な意義があるはずだ、そう自分に言い聞かせ、目の不自由な教師が教壇に立つ意義を具体的に探すようになりました。

 できることを精いっぱいやってみる、自分の持ち味を教育に活かせるよう周囲と協力する、そんな風にして人間関係を少しずつ築いていく、このような方向でがんばってみました。

 結果、私は今、日本で、いや、世界で一番幸せな視覚障害教師であると、自信をもって言えるようになりました。

 振り返ってみると、視覚障害をもちながらも幸せな教師生活を実現させるために大切なポイントが3つありました。一つ目は、自分のできることを教育の現場でどう活かすか、具体的に考え、実現を模索して周囲に協力をお願いすることです。二つ目は、できることを精いっぱいやることで視覚障害をもつ教師の存在意義を発揮しようと試行錯誤することに理解を示し、バックアップしてくださる校長先生や管理職に出会うことです。(そんな校長先生に出会うことはめったにないのですが、私はラッキーなことに遭うことができました。)3つ目は、全職員による協力体制を確立することです。

 この3つがうまく回ったことにより実現できたことを紹介します。私は今、月に1枚ないし2枚、全校児童及び保護者向けに「共に生きる」というタイトルの学校通信のようなものを発行させていただいています。この通信は全て、クラスで読み合わせ、担任の先生が内容を解説することになっており、それが徹底されています。

 また、別の例ですが、毎年、全ての担任の先生が年に一度は私と協力し、道徳、特別活動、総合的な学習の時間の授業を実施するという形ができました。その際、担任の先生方は、受け持つクラスの子供たちの実態に合わせ、授業を計画し、私に協力を依頼することになっています。これは校長先生が全職員に協力を依頼し、実現しました。各担任の先生が夏休みに授業プランをつくり、校長先生に提出し、指導助言を受けた上で実施することで、徹底が図られました。

 これらの取り組みに対し、たくさんの保護者が感想や意見を寄せてくださるようになりました。それをきっかけに保護者との会話が広がり、信頼関係が深まっています。

 私たち視覚障害をもつ教員は、どうしたらやりがいをもって幸せな教師生活を送ることができるか常に考え、立ち位置を模索することが大切です。もちろん先頭に立ってバリバリ授業を導いたり担任をしたりすることを成功させ、幸せを得る方法もあるでしょう。しかしそれが立ち行かないとき、自分の教師としての存在を否定するのでなく、できることを精いっぱいやることで子供たちの教育に貢献する道があることも忘れないでほしいと強く願っています。

 最後に、私の学校の校長先生がしてくださったこと、目の不自由な教師の存在意義を最大限に引き出すために取り組んでいることは、全世界のみなさんに知ってほしいと思っています。みなさんの中の誰かが私の学校の校長先生にインタビューしに来て、それをたくさんの人に知らせてくださったらいいなあと密かに思っています。私はさまざまな取り組みをすることができていますが、これは一重に目の不自由な教師の存在意義を最大限、引き出そうと努力した管理職のおかげであることを申し添え、私の発表を締めくくらせていただきます。ありがとうございました。

(拍手)

 本当に最後の最後、うちの妻が昨日の夜私に教えてくれたことですが、韓国の先生方、ほとんどが20代、30代前半のお若い先生だとのことですが、これからの長い教師生活の中で、迷ったり悩んだりすることが多くなると思います。どうしても相談相手に困ったときは、私たち日本の視覚障害教師の会を頼ってください。日本では、在職中に中途失明してしまった先生が、「あなた、そんなんじゃもう働けないでしょう」と言われ、辞めさせられそうになるケースがあります。そんなとき私たちは、中途失明してしまった先生に対し、どんな可能性があるか知ってもらうためのカウンセリングをしたり、教育委員会や校長先生に復職をお願いしたりして職場復帰をサポートし、道を拓いて来ました。ですから、困ったことがあったり、悩んでいることがあったりしたときは、日本の視覚障害教師の会のことを思い出してください。

 以上です。


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