日韓親善交流大会に参加して
大胡田 裕

 先日の大学入試センター試験で、興味深い出題がありました。問題は、「次の会話を聞いて、何月に行われた会話であるかを答えなさい」というものです。(以下、Wは女性、Mは男性の声で読まれているところです。)

W: When does the school year start in Japan?(日本では何月に学年が始まるの?)
M: In April. Do you start in September?(4月だよ。君の方は9月に始まるのかい?)
W: No, in my country we start one month earlier than Japan.(いいえ。私の国では、日本より1か月早く始まるのよ。)
M: That's next month!(それって来月ジャン。)

 問題の応えは2月なのですが、私はそれよりも、この会話が日韓親善交流大会の一こまを切り取ってきたかのように思えて、にんまりしてしまいました。センター試験もよい問題を出してくれますね。日本より1か月早く学年が始まる国、といえば、韓国もそうなのです。私はそのことを、今回の訪問で知りました。もし交流会に参加していなければ、今頃「3月に学校が始まる国って、いったいどこだろう」と生徒の前で言っていたかもしれません。ちなみに、韓国以外では、チリやアルゼンチンでも学年の始まりは3月だそうです。

 さて、 私は、とりわけ印象に残っている二つのことについて書かせてください。

 一つ目は、お土産と余興についてです。私は今回、馬場先生、宮地先生、堀口先生、大川先生、桜井先生と一緒に、日本から持っていくお土産の準備と懇親会での余興を担当しました。11月の下旬にそのことが決まってから、メールや電話で毎日のように連絡を取り合い、アイディアを出し合いました。「果たして喜んでいただけるだろうか」という不安は常にありましたが、出発までの1か月は、いつも頭の片隅では交流会のことを考えていて、毎日ワクワクした気持ちで過ごすことができました。

 まず最初に準備したものは、韓国の皆様に渡すお土産です。日本ならではのものでありつつ、他の日本人が持っていかないものにしたい、ということになり、「マグネット富士山」を選びました。「マグネット富士山」とは、浜松にある「授産所ウイズ」の製品で、使用済み亜鉛板から作った手のひらサイズのマグネットです。静岡から見える富士山の形をしています。できれば韓国側の先生方一人一人にお渡ししたかったのですが、時間もなかったので、交流会の合間に、会長のパク・チュンボン先生にお預けしました。また、通訳などでお世話になった皆様には、堀口先生が獅子舞の描いてある缶入りのキャンディーを、大川先生がCDの付いた点図のカレンダーをもっていってくれました。いずれもとても喜んでいただくことができました。

 次に考えたことは、みんなで歌う歌についてです。これは馬場先生が「ウリナラ コ(私たちの国の花)」という曲を紹介してくださったので、すぐに決まりました。「ウリナラ コ」は、むくげの花に始まり、イムジン川、オイキムチ、アリランなど、韓国を代表するものの名前が次々に登場する歌です。音楽の教科書にも載っているとのこと。3拍子のリズムが韓国らしさを感じさせます。せっかくみんなで歌うのなら私たちで演奏もしたいね、ということになり、宮地先生と桜井先生がリコーダー、私がハーモニカ、馬場先生が歌詞コールを担当することになりました。12月26日、拡大役員会1日目の深夜に初合わせをしましたが、思っていた以上にうまくいき、「これはいいぞ」と心の中でガッツポーズしたくなるほどでした。

 歌の準備は順調に進んだものの、ぎりぎりまで皆で頭を悩ませたものが、懇親会でのゲームでした。全員が参加できて、お互いの国のことを楽しく知り合えるものはないだろうか、と考えに考えて、最後に出てきたものが、「動物の鳴き声クイズ」です。日本では犬の鳴き声は普通「ワンワン」ですが、それが韓国だと「モンモン」になります。まずは日本側から3問ぐらいそのようなクイズを出題し、韓国の先生方からも問題を出していただくようにその場でお願いしよう、ということになりました。それが決まったのは27日の深夜、センターマークホテルのロビーでのことでした。

 翌日の28日は午前中に施設見学、午後に研修があり、あっという間に夜の懇親会の時間がやってきました。パク・チュンボン先生には、懇親会の後半に20分から30分時間をください、と伝えてあったので、私は食事が始まってからも、ずっとそのことで頭がいっぱいでした。

 いよいよそのときが来て、皆さんの前に立ったとき、私は不安や緊張を吹き飛ばそうと声を張り上げて言いました。「皆さん、今晩は。私は昨日ソウルに着たばかりです。まだ24時間しかたっていないのですが、なぜか皆さんのことを、ずっと前から知っていたように感じています。」思わずその場で出てきた言葉なのですが、通訳が終わった瞬間、韓国の先生方が拍手をしてくださいました。「1日しか一緒にいないのに、こんなにも深く共感できるなんて」という気持ちはみんな一緒だったんだ、と分かり、一気に緊張がほぐれました。

 クイズの出題は、宮地先生、桜井先生、大川先生が担当してくれました。「ホー・ホケキョ」はさすがに難しかったようですが、回答者が次々に出てきてくれて、本当に安心しました。韓国の先生からも2問出題していただき、ゲームは大成功。その後の歌も大いに盛り上がりました。「どうしたら日韓の先生方が一緒に楽しい時間を共有できるだろうか」と6人で考えてきたことが、このように形になりました。皆様、本当にありがとうございました。

 もう一つ、今回の韓国訪問で印象的だったことは、ソウルの友人と10数年ぶりの再会を果たすことができたことです。親善交流大会の内容ではありませんが、私にとっては非常に大きな出来事になったので、書かせてください。

 その友人はホ・ドゥーワンといって、大学の語学研修でイギリスへ行ったときに、同じ寮で過ごしました。当時はお互い学生で、「将来は教員になりたいね」と話していました。それが、数ヶ月前、フェイスブックのやりとりで、彼が高等学校の歴史の先生になっていたことを知りました。教員になったドゥーワンと再会したい、その思いを叶えてくれたのが、今回の韓国訪問だったのです。

 ドゥーワンは29日の正午に、センターマークホテルまで迎えに来てくれました。彼の第一声は「Yutaka, you haven't changed.(変わってないねえ)」。私も彼の物静かな話し方から、彼も変わっていないなあ、と思いました。ドゥーワンの隣には、教え子のイ・チェスンさんがいました。チェスンさんは熊本に留学していたこともあり、日本語が大変堪能な方です。現在は大学で特別支援学校の教員になるための勉強をしており、ドゥーワンが誘ってくれたのです。3人でチョンガク駅まで行き、そこで韓国視覚障害教師会のイ・ナヨン先生と落ち合いました。イ・ナヨン先生とは前日の懇親会で隣の席になり、「明日友達と会うんだ」と話したら「一緒に来たい」と言ってくれたのです。イ・ナヨン先生は英語はもちろん、日本語もかなり理解しており、私とチェスンさんが日本語で話していても、内容がほぼわかっているようでした。それでもやはり、4人それぞれが誰かに通訳をしてもらわなければ会話ができない、という状況になりました。このような状況は確かに不便ですが、私にとっては外国語を勉強してきて本当によかった、と思う瞬間でもあります。言葉がうまく伝わらないからこそ、一生懸命工夫して気持ちを伝えようとするとき、何か言葉以上のものを分かち合えている気がするのです。「やはり私は、このように人と人との壁を乗り越える瞬間が好きなのだな」と改めて思いました。

 お昼時だったので、まず私たちは、ククスーという温かい麺類を食べに行きました。寒い日に身体を温めるには最高の、鍋焼きうどんのような食べ物です。3人前を注文しましたが、4人でも食べきれないぐらいの量でした。食べながら私は、ドゥーワンに思い切って、12月26日の総理大臣の靖国神社参拝について、どう思うか、と聞いてみました。彼の返事はシンプルで、「それは政治の問題だから、何にも気にしていないよ」とのこと。「僕は高校で、日本の歴史についても教えているんだ。例えば、高麗朝鮮と鎌倉幕府を比較したりしてね。」とも話してくれました。ドゥーワンだったらきっとそういってくれるだろう、とは思っていましたが、心に突っかかっていたことについて率直に話し合えて、本当によかったです。

 次に私たちは、私がひそかに最も行きたいと思っていた場所に向かいました。それは、「サムジギル」という建物の屋上にある「サランウイ ダンジャン(愛の壁)」です。そこはあたかも、お正月の神社のように、何百何千という願い事を書いた板が結びつけてある場所です。板の形も様々で、丸いもの・楕円形・ハート型などがありました。

 実はその日の朝、私は指田先生とそこに散歩にきていて、「ドゥーワンたちと会えたら、一緒にここに来た証を残しておこう」と決めていたのです。ところが、できて比較的新しいらしく、私以外の3人はその場所のことを知りませんでした。午前中に買っておいた板と買い物袋を見てもらい、何とか探してもらうことにしました。

 午後のインサドンは朝と比べて人通りが非常に多く、お祭りの日に街を散歩しているかのようでした。人々の話し声に混じって、年末のチャリティーを呼びかける子どもたちの声や鐘の音、ボブ・ディランを歌う男性の声が響いていました。しばらくインサドンを歩き回って、やっと目的地に着きました。私たちは丸い形の板に4人の名前と、「ここでまたすぐに会いましょう」というメッセージを3ヶ国語で書きました。壁に結び付け、記念写真を撮ってミッション終了。

 エレベーターで下に降りようとすると、チェスンさんが急に大声で「ちょっと待って」と言うのです。なんと彼は、無数の願い事の中から、AKB48のメンバーのものらしい板を見つけ出し、大急ぎで写真に収めていました。日本語で「またチームKのみんなでここに来ようね」と書いてあったそうです。

 「サムジギル」を後にした私たちは、ドゥーワンの案内で、クィチャン(帰天)」という喫茶店に入りました。彼によると、そこは有名な詩人チョン・サンビョンの奥さんが始めた喫茶店で、店の名前も彼の詩にちなんでいるということです。とても温かく落ち着いた雰囲気の店でした。私たちは入口から一番近いテーブルを囲み、韓国伝統茶を注文しました。お客さんたちが談笑する声と、バッハのリュート組曲が遠くから聞こえてきます。温かい伝統茶を呑みながら、様々な話題に花が咲きました。特におもしろかったのは、イ・ナヨン先生がヒマラヤに上った話やチェスンさんの兵役での話しです。また、ドゥーワンとイ・ナヨン先生はチェスンさんの進路相談にも乗っていました。やはり話題のほとんどは学校や教育に関するものだったのですが、スマートフォンの普及が生徒たちの勉強時間の減少に拍車をかけていることは、日韓共通の問題だと分かりました。また、韓国の学校には、NEISというネットワークシステムが導入されているのですが、ほぼすべての業務をそこで行わなければならず、アクセスが集中すると動作が極めて遅くなる問題があるということも知りました。韓国語で「イン」というと「我慢する」という意味があるらしく、「インターネットのインは我慢のインだね」というジョークに、みんなで笑ってしまいました。

 喫茶店を出ると、雪が降り始めていました。雪といっても細かい粉のようで、ほとんどぬれることはありませんでした。沼津に住んでいると雪に降られることはめったにないので、私は、たまにはこういうことも風情があってよいものだなあ、と思いました。

 4人でセンターマークホテルのすぐそばまで戻ってきたとき、ちょうど堀口先生、藁谷さん、秋元さん・キム・ナヨンさんのグループと会いました。喫茶店にお茶を飲みに行くところと聞き、私とイ・ナヨン先生は合流させてもらうことにしました。今度の喫茶店は、美術館の中にあり、私たちの入った奥の部屋は、靴を脱いで板の間に座るようになっていました。ちょうど床暖房のように座っている板が温まるようになっていて、これが現代のオンドルだ、とキム・ナヨンさんが教えてくれました。せっかくなので伝統茶をもう1杯、と思い、日本でも人気のあるゆず茶を注文しました。

 今回の訪問で私は、韓国伝統茶がすっかり好きになってしまい、帰ってきてからも昼休みに同僚と飲んだり、生徒に配ったりもしています。呑むたびに、韓国で出会った皆さんのことや、友人たちと過ごした短いソウルの休日のことを思い出しています。

 韓国交流ツアーのことを思い出すと、今でも胸がいっぱいになります。行く前と帰ってきてからとでは、自分自身の物の見方や考え方が大きく変わっているのを感じます。例えば、テレビのニュースやドラマを見ても、「韓国の人たちだったらどう感じるだろうか」と思いをはせている自分がいます。今年のNHKの大河ドラマには豊臣秀吉が登場しますが、「晩年の朝鮮出兵についてはどのように描かれるのだろうか」などと考えてしまいます。また、学校で仕事をしていても、「いま直面している課題は、私だけのものではない。日本の視覚障害教師だけのものでもない。海の向こうにも同じ気持ちでいる仲間がいるんだ」と思うと、前向きなパワーがわいてきます。父親はそんな私の変化に気づいたのか、先日、夕食を食べながら「韓国ですごいことしてきたみたいだな」と言いました。父は1988年のソウルパラリンピックにスタッフとして参加しており、25年前の韓国のことを時々話してくれます。次回訪韓するときは、父親にも今のソウルを見せてあげようと思います。日韓視覚障害教師の交流は始まったばかりですが、いつかは日本や韓国の生徒たちがお互いの国をよりよく理解することにつなげていけたら、と考えています。お世話になったたくさんの皆様、本当にありがとうございました。

 以上です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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