ソウルの感想
長尾 博

 仙台の長尾です

 私にはあのキムチ味やからいものはどうも体にあいませんでしたが、韓国の方のあたたかさにはとっても親密感を感じることができました。あらためて、このような機会をご準備くださった日韓のみなさんに心より感謝申し上げます。

 それではつまらない感想ですが、書かせていただきます。

挟む文化との出会い 〜ソウルで考えたこと〜
 年末、私はソウルにいた。日韓の「視覚障害教師の会」の第1回親善セミナー参加のためである。韓国は2007年より急速に公務員に占める障害者の率を高める政策に入り、最近では障害者別枠試験により全体に占める障害者合格率6%を目指しているという。そのためか、韓国の視覚障害者教師たちは私を含めた日本側代表団に比し圧倒的に若く、また全盲者よりは弱視者が多かった。会場となった国立中央図書館には障害者支援室があり、「点訳本やデイジー本のダウンロードサービス」など日本と遜色のない障害者向けサービスが整っていた。また、全盲の利用者を最寄り駅まで迎えにいくサービスや福祉タクシーなど来館者のアクセスには日本よりもよく考えられた施策があるようだった。聴覚障害者のための「手話絵本」や「手話本」の製作といった日本ではまだまだの分野にも着手していた。ただ、手で触れる図入りの点字本の製作といった「図を触る文化」についてはあまり資料もなくこれからのようであった。

 さて、セミナー第1日目を終え、韓国の関係者と食事をともにした。まずは韓国焼き肉、長い肉のままテーブルにある。日本でもよく知られているようにハサミで切って焼くのである。隣席の韓国人に尋ねてみた。「長いまま焼いて食べる人は韓国にいるのですか?」、「いない」という。全盲者への自立活動でもあるまいし、それなら最初から切っておいてくれ!といいたくなる。

 翌日の昼食は誘われての冷麺専門店となった。かなり細い麺である。あの重い韓国のお箸を手に私は麺をすすりはじめた。口に入る分は噛み砕こうとするのだがこれがなかなか切れない。しかたなく再度すすりこみ麺の切れ端を探す。だが、麺はまだ続くのでアル。すすってもすすっても麺の切れ端がない。思わず窒息しそうになった。そして気づいた。ハサミがまたしてもテーブルにあるのだ。韓国では、器の中にハサミを入れ、すする前にバチバチ切るようである。それなら、なぜこのような殺人的に長い麺をこしらえる?、こんなに長い麺をつくる方が麺職人もたいへんだろうに…。こうして、気づいたのである。これはもう文化である。「挟む文化」なのである。そういえば、その夜、地下鉄を降りる時のことだった。停車時間の短い韓国の地下鉄はもう少しで私の白い杖を挟み混もうとしてものすごい勢いで閉まったのである。

 以上です。


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