12月29日(日)、韓国に着てから3日目、大きな行事の親善交流大会も無事済ませたので、今日は、リラックスしてソウル市の観光に行きます。観光は二つのグループに分かれました。歴史散歩コースには、長尾先生と高橋先生、中村先生と韓星民先生(福岡教育大学講師)、大川先生とお母さん、南沢先生と理恵さん、そして私、重田とサ・ジェミンさんという若い男性の通訳の方です。もう一つのグループは、買物とお茶、韓国エステ(サウナとあかすり)を楽しむグループです。宮地先生と櫻井先生、馬場先生と秋元さん、堀口先生と藁谷さん、それに通訳のキム・ナヨンさんです。こちらについては、私は参加していないので、どなたか簡単に報告してください。二つのグループは、午後に仁寺洞(インサドン)の韓国茶の喫茶店で合流しようということになっていました。歴史コースは、やる気満々(私だけ)で、8時半に出発予定でしたが、すでに朝食のバイキングから予定が狂い、みなさんゆっくりホテルの朝食を楽しんでいました。あれあれ、昨日言った(つもりの)はずだったのですが、その場に揃っていなかったのかも?やはり、視覚障害者が全体を掌握するのは難しいですね。結局、出発は1時間遅れの9時半となりました。

 先ずは、資金作りということで、南大門(ナンデムン)にある南沢先生御用達の南山商会という両替ができてお土産も買えるお店に行くことにしました。サ・ジェミンくんの案内で、センターマークホテルから10分ほど歩いて地下鉄の駅に行きました。その駅の入り口前には、古い大きな釣鐘があって、昔ソウル市の時間の発信元となった由緒ある釣鐘だそうです。ちょうど除夜の鐘のカウントダウンを中継するためのステージが造られている最中でした。でも、本物の釣鐘は国宝なので、ここには新しい釣鐘があるのだそうです。鐘楼駅?入り口はかなり急な階段で、韓先生が、昔は階段の角に滑り止めがなく、とても怖かったが最近付けられて良かったと話していました。地下鉄は、またカードを買って、回転ドアのような改札を通り、真ん中にくいの邪魔するエスカレーターに乗って、深いホームに行きました。市役所駅ソウル駅と、2駅乗って乗り換え、1駅のって南大門駅?に着きました。

 南大門には、大きくて有名な市場(いちば・シジャン)があります。古い街並みを通って行くと、道の両側から気さくな売り子さんたちに声を掛けられました。すぐにご推薦の南山商会に着き、椅子に座ったところで順番に両替しました。両替の交換比率がすごくよく安心して両替ができました。そこへ若い男の店員さんが来て大道芸顔負けの話術で、面白おかしくお土産品を紹介してくれました。以下その一場面(のつもり)です。 → 「韓国のりの山葵味です。かなり辛いですけど私は好きですね。まあ好みですけど、これから味見してもらいますけど、ちょっと待って…、配る準備します。仕来たりでは会長さんから味見してもらうところですけどね…、でも私の都合で、やっぱり端の人から配ります。(笑い)」なんていう調子です。つい調子に乗せられて、韓国のり、お茶、おこしのような豆菓子、キムチなどなど沢山買ってしまいました。でも品物は安心できるものでねだんも良心的だと思いました。それにホテルまで届けてくれるので荷物を持たずに観光できるのが良かったです。注意、これは南沢理恵さんの韓国料理の先生、大山さんという方の紹介だからで、面識のない人が行くと値段も対応も違うらしいですよ。

 南山商会でのんびりしすぎてすでに11時半になっていました。お店を出て市場の狭い道を歩いていくと両側には木造の小さな店が軒を並べ、売り子さんが日本語で話しかけてきます。理恵さんが靴下を買おうと聞いてみると、12足1万ウォン(約千円)でした。韓国の靴下は、丈夫で安いそうです。それからニセブランドの鞄やハンドバックが沢山売られていました。もう、お土産は十分買ったので、足早に南大門に向かいました。その門は大きな道に囲まれているのか信号を何度も渡って、ちょっと小高い丘の上にあるようでした。昔のソウル市は、中国と同じように、周囲を四角く高い城壁で囲まれた城塞都市で、東西南北に一つずつ大門がありました。(でも、北大門は聞いたことがありません。北の端には王宮殿の景福宮があるので、ないのかもしれません。) その大門周辺に郊外や地方から物資が集まり市場ができたというわけです。東大門(トンデムン)市場も観光地になっていますね。南大門は北にある王宮、景福宮(キョンボックン)の正門の光化門(ちゅうもん・中門)と向かい合わせに建てられています。大きさは聞くところによると5〜6階ぐらいで、上部が二層の屋根がついた木造建築で、赤、青その他いろいろな色が施されている鮮やかな建物だそうです。下部は白い大きな石が積み上げられており、がっしりとした構造だそうです。何年か前に放火で消失したとニュースで聞いたのを思い出しました。すべてが木造の日本のお寺の門とは違うようです。記念撮影をしようと整列していると、冷たい北風が吹きつけて、全員ブルブル、ガタガタ、でも何枚も写真に収めました。坂を下りて行くと、何だかいいにおい。そこには屋台の出店があっておでんと「ホットク」を売っていました。時間も十二時を回り、お腹も空いてきたので、みんなで買って食べました。ホットクは、あんまんを揚げたような者で、形は半円形でクレープに近いかもしれません。熱々のホットクは、冷えた身体には最高においしく、ここだけの話ですが、韓国で食べたものの中で一番でした。

 それから歩いて徳寿宮(トクスグン)に向かいました。歩道の左側には、時々食堂らしきものがあり、にぎやかな音楽や人の声がしました。右側の広い道路の向こう側には、韓国を代表する大企業の本社がいくつもありました。10分ぐらいで徳寿宮に到着しました。

 ここは、ソウル市に五つある李氏朝鮮王朝(1392年〜1910年、李成桂が建国)の宮殿の一つで、本来は臨時の宮殿だったのですが、日本の朝鮮半島の植民地化の流れの中でクローズアップされることになりました。1895年、日清戦争後の三国干渉に不安を抱いた日本公使らによって、景福宮でお后さまが惨殺されました。事実上最後の国王となった高宗も、身の危険を感じて女装でロシア公使館に逃げ込み、そのご、近くにあった徳寿宮で政務をしたそうです。ロシア公使館があるので安心していたところ、1905年に日露戦争でロシアが敗れてしまい、3年間だけ在位した幼い王様も退位させられ、1910年、朝鮮半島は日本に併合されてしまいました。以後35年間日本に属国として植民地支配されることになりました。私の小学校時代の家庭科の先生も、この時代に修学旅行で朝鮮に行ったといっていました。日本語教育が強要されていたので、朝鮮の大人も子供も、日本語を話していたそうです。入場券を買って中に入ると、お寺のような門があり、高い敷居を跨いで広場に出ると、そこはラストエンペラー(中国の清朝の最後の皇帝を題材にした映画、)さながらの広場がありました。そこは身分によって歩く道も王様に謁見するときに座る場所も高さで区別されているという、身分制度が色濃く残っている造りになっているようです。その奥の建物が王様の仕事場で、政務をしていたところだそうです。出口に戻る途中には、別の建物があり、そこはロシア風の西洋建築で、大理石の円柱に触ることができました。この建物はパーティー用に建てられたもので、明治維新の鹿鳴館のような用途で使われたそうです。とにかくうわべだけでも西洋化を装って西欧列強から国を守りたいと考えていたのでしょう。残念ながらそれは日本のせいで叶わなかったのですが…。それにしても、サ・ジェミンくんは、若いのに読書や美術に関心が高く、史実についても建物や庭についてもとても詳しい人でした。聞いてみたところ高卒までに日本語をマスターして、横浜国大に合格したとか。相当な秀才なんですね。

 次は、梨花女子高校です。近いということだったので空いたお腹を気にしながら、徳寿宮の立派な石塀に沿って歩いて行きました。石の塀にも触りましたが、とても頑丈で高い塀でした。案内のサ・ジェミンくんが、この道をカップルで通ると必ず分かれることに成るという迷信があると話してくれました。道を反対側に渡るとそこにも立派な石塀があり、しばらくいくと梨花女子高校の正門に着きました。女子高校と聞いて期待した人もいたかもしれませんが、この学力最高峰のお嬢様学校も日曜日のため残念ながら閉門していました。校内には、テニスコートや野外劇場もあるらしいので、若い女の子が沢山いたらよかったでしょうね。正門に付けられた立派な金属の表札には、浮き出た漢字で「梨花外語女子高等学校」と書かれていました。日本語と同じ漢字なので、びっくりしました。ここは、3・1独立運動の発祥地の一つで、韓国のジャンヌダルクといわれている ユ・グアンスンの出身校です。併合されてから9年目の1919年1月に、徳寿宮で国王の高宗がなぞの死を遂げます。自殺説や毒殺説があるようです。これを機にそれまでの植民地支配に不満を募らせていた人達は、とうとう朝鮮半島全土で独立運動を起こしました。独立運動の中で、上海で臨時政府が創られ、ガンジーに習って?、整然と秩序ある街頭デモをよびかけました。17歳の ユ・グアンスンも、故郷に帰って、ソウルでの独立運動の様子を伝えました。デモに参加し、独立万歳と言いながら歩いていたところ、反乱を恐れた日本軍によって、両親は射殺され、自分も捕えられてしまいました。その後、ソウルの西大門刑務所で拷問を受けて、18歳で命を落としました。現在の韓国の憲法にもこの3・1独立運動が、建国の出発点だと書いてあります。ノムヒョン大統領も独立記念日には、ここで演説したそうです。初めて、韓国に来た以上、建国の出発点や、一つぐらいは学校を見ておきたいと思ったわけです。

 もう1時です。寒い道を歩くのも、お腹の方も、もう限界です。話し合って、温かい中華にしようということになったのですが、なかなか中華料理店が見つからず、視界に入った冷麺の店に入りました。身体が冷え切っていたので、机上のヤカンのお茶を湯飲みに注いで飲みました。するとそれは、お茶ではなくて、お吸い物のような味の温かくておいしいスープでした。でも、出てきた冷麺は、氷こそ浮かんでいませんでしたが、大きな金属のボール?、洗面器?のようなものに入れられていました。中にはそうめんくらい細い麺がたっぷり入っていました。麺はとても細いのですが、なかなか腰が強くて噛み切れません。そこにはさみが回ってきて、切ってから食べるものだといって、チョキチョキ切ってくれました。ポン酢とそばつゆを混ぜたような味?のスープは、金属の器ごとよく冷やされていて、さっぱり感がありましたが、夏ならとてもおいしいと思うのですが、冬には向かないと思います。少し休んで元気が出てきたところで、世界遺産の景福宮(キョンボックン)に向かいました。

 少し歩くと宮殿の正面に続く16車線の大通りに出ました。ここは、奈良の朱雀王路に当たるところです。途中から中央の8車線が広場になり、光化門前広場と呼ばれているところです。昨日は、ここで80万人の労働者の集会があったのでしょうか。サ・ジェミンくんの話では、いま、韓国では国鉄民営化反対で大騒ぎになっているそうです。広場の両側にある4車線の道路を渡って広場に入ると、そこには李舜臣の大きな銅像がありました。えっ! それは、だれだ!ですって? 日本の豊臣秀吉ぐらい韓国で有名な人ですよ。秀吉による2回の朝鮮出兵を撃退した英雄です。実は私も知りませんでした。この時、景福宮も焼かれてしまったそうです。歴史は自分の側からだけ見ていても駄目ですね。秀吉の武将たちの中には、帰国して褒美をもらうために、首は持ち帰れなかったので、韓国の女や子供まで殺して、沢山の鼻を切り取って持ち帰ったのだそうです。北九州地方には、鼻塚がいくつもあるそうですよ。それを聞いて、通訳の韓先生も感心していました。さらに進んでいくと、右側の道路の向こうに、大韓民国歴史博物館があるとサ・ジェミンくんが教えてくれました。しかし、もう2時に近いので、見学に行こうとは怖くてとても言い出せませんでした。光化門近くまで広場を歩いていくと、李氏朝鮮王朝第4代、世宗大王の大きな椅子に座った銅像がありました。この王様は、とても科学や学問に関心のあった人で、ハングル文字を考案した人です。銅像の近くには、日時計や天球儀などの天文観測機器が置かれていました。ちなみに、李氏朝鮮の他の王様で有名なのは、第9代の成宗が、「チャングムの誓い」のドラマに、第19代の粛宗、第20代の景宗、第21代の英祖が、「とんい」のドラマに出てきます。光化門の前まで行くと、どこからか太鼓の音がしてきました、そのうち女性の声でアナウンスが流れ、朝鮮語の後で日本語も流れました。運のいいことにこれから守門(スモン)、つまり衛兵の交代の儀式があるようです。道路を横断して門前まで行き、2時からの儀式を待ちました。2〜3分で太鼓やドラの音がして、古式に則った交代の儀式が始まりました。衣装や動作は分かりませんが、古典的な楽器の演奏が面白かったです。


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