朝日新聞全国版「患者を生きる」シリーズ「働く」
教壇に立つ:1 視野が狭くなってきた

 東京都足立区に住む教師、重田雅敏(しげたまさとし)さん(62)は40年近く、障害児教育の現場に立ち続けている。

 大学を卒業し、23歳で都内の養護学校で働きはじめた。赴任したのは東京都立町田養護学校(当時)の分校。初めて教室に入ると、知的障害をもつ10歳前後の男の子が、ピョンピョン跳ねながら近寄ってきた。そして、ほっぺたに突然キスをした。

 「びっくりした。でも、その時、本当にかわいいなあと感じた。障害で言葉をうまく話せない男の子にとって、私に対する精いっぱいの歓迎のあいさつでした」

 学生時代は、中学校の社会科教諭になるつもりで勉強していた。養護学校に勤めることへの戸惑いもあったが、これで心の迷いは一気に吹き飛んだ。

 「障害を持つ子どもたちのために働く。この仕事で生きていこう!」。そう固く心に誓った。以来、都内の養護学校や盲学校で教え続けた。

 体の異変に気づいたのは、43歳のころ。自宅のテーブルの上にあるコップや湯飲み茶わんを、なぜか次々と倒してしまう。もともと視力はよくなかったが、単なる視力の衰えではない。視野の隅にあるものが見えにくくなっていた。

 1995年、目の検査を受けた順天堂大で、医師から「網膜色素変性症が進み、視野が狭くなっている」と説明された。当時、右目の視力は0・06程度で、視野は通常の10%ほど。左目はさらに視野が狭く、見えづらくなっていた。

 網膜色素変性症は、目の中で光を感じる網膜に異常が起き、視力が低下してゆく進行性の病気だ。遺伝子の異常が原因と考えられ、進行を確実に止め、網膜の機能を元に戻す確立された治療法は今のところない。数千人に一人の割合で患者がいると言われている。

 検査を受ける前から、夜になると暗い場所にあるものが見えにくいと感じていた。その症状も、この病気のせいだった。

 「今後は、だんだんと生活に支障をきたすようになるでしょう。さらに症状が進むと、失明する可能性があります」。医師の言葉に、強い不安と危機感を覚えた。

 「これは、まずいことになった。教師の仕事は、もう諦めなきゃいけないのかな」(山本智之)


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